大河ドラマ「真田丸」にも登場の・・・お城の址
今は公園になってます。
春の桜の季節は、とても綺麗でお花見にオススメ
〜沼田城〜
平安時代末期より当地域を支配してきた沼田氏12代 顕泰あきやすによって築かれました。
動乱の中で、上杉氏、小田原北条氏と城主が変遷し、天正8年(1580年)には真田昌幸が奪取。
しかしその後も、沼田城を巡る真田氏と小田原北条氏の争いは続きます。
天正18年(1590年)小田原北条氏滅亡後、沼田領は改めて真田昌幸に与えられ、
嫡男の信幸が初代沼田城主となりました。
信幸(のちに信之と改名)は沼田城と城下町の整備に力を注ぎ、
慶長年間には五層の天守閣が完成しています。
しかし天和元年(1681年)、5代藩主 信利のぶとしのときに沼田真田氏は改易(領地没収)となり、
沼田城は徳川幕府によって破却されてしまいます。
そしてその後、沼田城が本格的に復興されることはありませんでした
〜 沼田城にまつわる逸話 〜
関ヶ原の戦いを前に、真田昌幸・幸村父子が沼田城に立ち寄ったところ、
留守を任されていた小松姫(信幸の妻)は不審に思い城に入れませんでした。
のちに真田父子が九度山に蟄居すると、
たびたび手紙や食物を送り気づかったという逸話が残されています。